全力でお正月を楽しむ!お屠蘇、羽子板、破魔矢!!

全力でお正月を楽しむ!お屠蘇、羽子板、破魔矢!! 日本の文化・伝統

お正月の記事、第二弾です。
前回紹介しきれなかったお正月の他のアイテムを今回もご紹介します。

そもそもお正月とは

大晦日(12月31日)に新年の幸福を司る歳神様を迎え、ゆく年に感謝しながら新しい年の無事をみんなで祝うものです!

お正月までのスケジュール

12月13日から実はお正月の準備が始まります。この日は「事始めの日」と言われ、江戸城を始め各家庭で「煤払い」いわゆる「大掃除」が始まるのです。しかも単なる掃除ではなく「煤取節句」とも呼ばれ、歳神様を迎え入れるための神聖な清めの儀式と見なされていました。
そしてこの煤払いを済ませてから山へ松を取りに行く、というのが当時の江戸の習慣でした。
尚、現代では皆さんご存じのように12月25日までクリスマスがあるので、以降に準備を始めるというのが一般的です。

歳神様のスケジュール

歳神様は別名「お正月様」とも呼ばれています。
歳神様は新年と共にやってきて幸福と平安をもたらし、1月15日のどんと焼きの煙に乗って帰っていきます。
なのでお正月の行事はきちんとスケジュールを守って取り組みましょう!

お屠蘇

お屠蘇(おとそ)の「蘇」という字は悪鬼を屠る意味を持ちます。
もともと中国の風習で「屠蘇散(とそさん)」と呼ばれる漢方薬を調合した薬酒のことです。
正月に無事と健康を祈る為に飲む習慣があったそうです。

屠蘇散(とそさん)もしくは屠蘇延命散(とそえんめいさん)の中身

屠蘇散は別名、屠蘇延命散とも呼ばれており、以下のものが主成分として含まれておりました。

  • 山椒
  • 肉桂
  • 桔梗
  • 防風

これらを薬袋に入れて、酒や味醂に浸して作ったものが「屠蘇」と呼ばれるものになります。
これを正月三が日に飲めば、邪気を払い、生気を蘇らせ、延命長寿が得られると言い伝えられたことから、「屠蘇延命散」とも呼ばれるようになったのです。
実は屠蘇散は今も販売されています。

屠蘇散が、日本に来たのはいつ頃?

平安初期にはもう伝わったとされています。当時は宮中のみで時期を定めず、通年飲んでいたみたいです。
江戸時代頃から正月の習わしとして庶民に広がったとのことです。

正月の時期の正しい屠蘇の作法

江戸時代の頃からある作法をここで紹介しましょう。

  1. 大晦日(12/31)に酒を準備する。
  2. 屠蘇器の銚子に酒を注ぐ。
  3. 屠蘇器を食卓に出すまでの間、床の間に正面が見えるように飾る。
  4. 飾り方は、盃を左、銚子を右に置く。
  5. 飲む時には飲む人の右側から注ぐ。
    この時、飲む順番があり、必ず年少者から飲みましょう。

屠蘇器には大体、大中小の盃がありますが、一献ずつ種類の違うものを天皇に献じていた名残だそうです。一般には一番上の小さな盃を使えば良いとのことです。
お酒も特に指定はないのですが、やはり日本酒を用意するものかなと思います。

羽子板

もともと羽子板は神社などで厄除けや占いをする際の、神事の道具だったそうです。
それが正月の遊具や贈答品になったのは室町時代以降。邪気を払いのける縁起物となりました。

室町時代の羽子板

伏見宮貞成親王が記した「看聞御記(かんもんぎょき)」には正月の5日に宮中で宮様と公卿、女官が集まって羽根つきを行ったと記載が残されています。
正月に羽根つきをすることによって、その年の厄落としを願ったのではないかと解釈されています。
当時の羽根つきの羽はトンボを象ったもので作られていたそうです。
トンボは蚊などの害虫を食べることで知られていた益虫でした。
羽を高く飛ばすことによって害虫から病気がうつらぬようにとの願いが込められていたんだそうです。

トンボって様々なところでモチーフになってますよね。
キリストでもトンボがモチーフになのがあったはずです。ドリフターズでキリストが持ってる杖にトンボがいましたし…。

江戸時代の羽子板〜空前の押絵羽子板ブーム〜

江戸時代になると、歌舞伎役者の押絵羽子板がプロマイドのように売られるようになりました。
江戸時代に浅草で羽子板市が始まるようになったのですが、当時歌舞伎のブームだったことから融合して押絵羽子板が人気になっていったんだそうです。
江戸時代くらいから女の子に羽子板、男の子に破魔矢を贈る習慣ができたそうです。

こうやって見ると、未だに贈る習慣があるんだなとわかります。

破魔矢

破魔矢(はまや)、または守護矢(しゅごや)として神社でお守りとして授与されますよね。
悪霊を打ち破る縁起物として1年通して飾るものです。
矢尻をその年の凶方に向けて飾ると良いとされていますが、基本的には神棚や床の間など清浄な場所に飾っておけば問題ないそうです。
昔から弓矢には邪気を払う特別な力があると考えられ、様々な神事に使われてきました。
同時に正月の男児の遊具としても用いられていました。
江戸時代には子供の成長の無事を祈る縁起物として、簡略化された矢が神社にて授けられるようになったとされています。

破魔矢?守護矢?どっちの呼び名が正しいの?

破魔矢は俗称で、神社によって呼称が異なります。
また寺院でも扱われているので、一般的には、神社での矢を破魔矢(はまや)、寺院での矢を守護矢(しゅごや)と呼び分けている、という形らしいですね。
授かりたい神社によっても呼称が異なるので、神社の呼称に従うのがよろしいかと思います。
ドリフターズって、弓で有名な那須与一もいるんですよね。

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